Minus 424

  思った通りチャンは居たが、当人は休憩室のソファで、毛布にくるまり鼾をかいている。
  どうやら昨日は泊まり込んだらしい。憔悴しきった様子のその顔は、もしかしたら何日も帰っていないのかもしれない。

  結婚して子供もいるのに、こんな事で大丈夫なのかしら?

  チャンは旧ユーラシア連合諸国の出身だったが、その優秀さから東部の日系バイオ企業から引き抜かれ、二十八歳の若さで主任の地位にある。
チャンはフロリダへ移住していた両親の葬式にすら帰らなかった、研究の鬼だと思われている。が、実際のところは複雑だった。本当は帰りたくて仕方がなかったのを堪え、通常の連休がとれる日まで帰郷を待ったのである。それくらいしなくては、彼らには、ただ優秀なだけでは出世の道など開かれないのだ。どれほど悔しい思いを繰り返したのかは知らないが、真央以外の者がいる前では、決して感情を表に出そうとはしない。旧ユーラシア連合諸国の出身者であるチャンの立場は、常に春先の氷ほどのものでしかないのだから。

  米国軍人の父と日本人の母をもつ真央とは出発点がそもそも違っていた。

  四歳だった異父兄を連れた母は、大戦中に一般化した日本の古武術、剣術(剣道と居合術)、槍術(槍と薙刀、場合によっては銃剣道)、柔術(組合術とも呼ぶ。主に合気道と柔術)、弓術(弓道)、馬術と禅の道を総合的に学ぶ流派の師範をしており、同好の倶楽部のあった横須賀基地にも出かけていた。

  そこで米国海軍の技術士官をしていた真央の父が、母に一目惚れして、正面から猛烈な贈り物と手紙による攻勢を開始し、紆余曲折はあったものの、見事母の心を射止めたのだという。

  何時の時代も、刀槍では艦砲射撃に対抗出来ないのである。

  結婚した後、父の仕事の都合上何度も転居を繰り返す事になる。
  真央が生まれた頃の両親は佐世保に暮らしており、真央が四歳の時にオアフ島へ、七歳の時にはサンディエゴに移り住んでいた。



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