Minus 424

  真央が十歳の時、父と大量の援助物資を載せた船が、再び激しい内戦の勃発していたインドに向かう途中、マラッカ海峡で国籍不明の機雷――もちろん機雷とはそういう物だが――に触れ爆発炎上の挙句横転沈没した。
  機雷はその威力から米国製だったとの噂が流れたが、結局確認はされなかった。

  米国政府と海軍は、当時サンディエゴの基地内に暮らしていた母に年金と名誉と勲章をくれたが、夫を奪ったのは米国政府だと信じ憎む事でその悲しみを乗り越えようとした母は、アメリカを捨て日本へ帰った。

  母の故郷であった東京都小金井市は、大戦中辛うじて核の被害からは逃れていた。

  しかし、戦後間もなく叫ばれる様になっていた、関東大改造と列島大改造の号令の下、異常な勢いで進んでいた再開発によって、母にとっても兄にとっても異郷の地と化していた。

  母は知人を頼り名古屋に移る事になり、真央は十二歳の夏から名古屋で育った。日本語は完璧だったはずが、名古屋弁は真央にとって巨大な壁として立ちはだかった。
  真央が頼りにしていた兄も母の元を離れ、京都の大学に進んでおり、真央はこの頃初めての孤独を味わう事になった。

  結果として真央は、母が師範として勤める日本鼎古武道会の道場に入り浸り、大学に進む頃には名古屋の四天王の一人と数えられるほどになっていた。

  もっとも母の様に武の世界に暮らすほどではなかった。

  その頃真央は、爆発的な発展を続ける微小世界に、変幻自在、驚異の微小生物の世界にのめり込んでいたのである。



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